空港にて(テキスト版)


 フラスカーティ[Frascatie]。彼女の名前をわたしは忘れない。彼女のようにわたしも生きると誓ったから。いつかわたしもこの町ではない町をわたしの町にする。彼女と最後に会った日の晩。わたしは誓った。わたしも彼女と同じことがしたかった。
 なのにわたしはまだこの町にいる。太ったおばさんになってもまだ父と暮らしている。月に1度ローマに買い出しに行く以外どこにも行かない人生だった。

 フラスカーティ[Frascati]には昔からパン屋が3軒ある。1軒は天然酵母でつくるパンだけを売るお店。もう1軒はパリで修行をしてきた3代目の店主の味を守るお店。甘くないクロワッサンはわざわざローマから買いに来るひとがいるくらいいまも人気。
 そしてもう1軒がわたしが働くお店「イタロ」。働くというとおまえは手伝ってるだけだろうと言わんばかりの目をして父に睨まれる。グラム売りの四角いピザもドーナッツもトルティーヤも。緑のオリーブのフォカッチャも。アップルパイまで売っている。父[Italo]が会社を辞めて始めたこの店でフラスカーティは働いていた。
 年齢はたぶんはたちを越えたか越えてないかくらい。背が低く、細かった。どんなに食べても太らなそうに見えた。もしかしたらアジアかロシア。ユダヤの民をルーツに持つひとかもしれなかった。
 地図の中に自分と同じ名前の町を見つけた。それが彼女がこの町で暮らし始めた理由だった。それまでどこで誰と暮らしていたのか。誰も聞かなかった。聞いても彼女が答えないことはわかっていた。
 わたしはまだほんの10歳の子供だった。身のこなしが軽く、働き者の彼女のことがわたしは大好きだった。

 フラスカーティはサロメを踊るようにくるくるとまわり焼きたてのパンを並べた。腕より先に指の先の、そのまた先から流れた。ずっと見ていたはずなのにいつのまにか別の場所にいた。来店したお客さんをドアについたベルが鳴り終わる前に迎えるのが彼女の仕事だった。
 わたしがお店に来るのは彼女に用があるときだった。母親を交通事故で亡くしていたから母親かお姉さんが欲しいのだろう。などとおとなたちは口を揃えたように言っていた。
 そうではなかった。彼女は彼女だった。わたしにとってフラスカーティはフラスカーティだった。
 わたしはフラスカーティにいつでも用があった。厨房で小麦粉の配合をしている彼女の足にからみついていた。粉で頭が白くなったわたしの目を見て彼女は笑った。
 いつも彼女はほとんどなにも話さなかった。ただ笑ったり驚いたりしていた。薄手のシャツの上に生成りのリネンのエプロンをしていた。鎖骨がきれいに真横に並んでいた。無口で働き者の彼女は父の愛人だと思われていた。



 フラスカーティは誰にもなにも言わずに養子をもらってきた。クリスマスの朝のことだった。彼女の本棚に並んでいた詩人と同じ名前(チェーザレ[Cesare])の男の子だった。
 その詩人が自殺する前の年に発表した小説の中にわたしと同じジーニア[Ginia]という名前の女の子が登場する。フラスカーティに教えてもらったときは飛び上がるくらいうれしかった。
 以来わたしではないわたし、もうひとりのジーニアが暮らしているトリーノ[Torino]はいつかわたしが行かなければならない町になった。なのにわたしは行かなかった。これから行く予定もなかった。本気で行こうと思ったことがあるのかさえあやしかった。

 フラスカーティがチェーザレとお店の2階で暮らし始めた。わたしも一緒に3人で晩ご飯を食べるようになった。父はひとりでトラットリア[trattoria]に飲みに行った。
 フラスカーティは思いつきにしては手の込んだ料理をつくった。ヨーグルトにはちみつではなく塩をかけた。生のズッキーニや茄子と一緒にサラダにした。カルチョーフィ(アーティチョーク)のフライ。豚の塊肉とジャガイモの蒸し焼きはトルコかギリシアかアフリカのどこかの知らない町、地中海の香りがした。
 わたしのためって感じでたまにつくってくれたチョコレートのライス・プディングだけはびっくりするくらいおいしくなかった。次につくってくれたときは言おう。おいしくないと言おうと食べるたびに思うのだけど言えなかった。彼女があまりにもうれしそうにつくるから全部食べた。
 いま思うと彼女はどこかの町で食べた料理をこの町で手に入る食材で再現していたのかもしれなかった。外国どころかナポリ[Napoli]にもミラノ[Milano]にも行ったことのないわたしにどこの料理かわかるはずがなかった。

 フラスカーティが養子にした男の子(チェーザレ)をわたしはふざけてカエサル[Caesar]と呼んだ。洗礼を授けられたばかりの子供なのに彫りが深く、ローマの五賢帝のひとりみたいな顔をしていたからだった。ママにおやつのおねだりをするおじさんに見えた。
 わたしは生まれて初めて年下のともだちができて有頂天になっていた。弟みたいにかわいがっているとおとなたちには言われた。カエサルは自分の自由にできるお人形だった。ぐっすり眠っているのをいいことに裸にしてキドニービーンズみたいな彼のあそこを触ったりしていた。
 わたしは学校から帰ったその足でお店の横の階段を駆け上がった。お昼寝をしているカエサルのおなかを叩いて起こした。自分の服を着せたお人形にしておままごとをした。飼い犬にして吠える以外なにも言ってはいけない、話してはいけないと命じるみたいなひどいことも平気でしていた。でもいちばんのお気に入りはカエサルに12人の使徒の全員を同時に演じさせる遊びだった。
 ヨハネ[John]と呼ばれると彼はさっと椅子に座り黙示録を書くポーズをした。ヤコブ[Jacob]と呼ばれると手近な棒を杖にしてホタテ貝を胸にあてた。ジェームズ。ジェイコブ。ジャック。ディエゴ。いろんな国のいろんな言葉でいろんな呼ばれ方をしている聖人だ。
 わざとわたしがそっぽを向きながらアンドレア[Andrea]と言ってもすぐに立ち上がり、両腕と両脚をXにひろげて十字架にした。スコットランドの国旗にもなった。聖アンドリュー。十字架に掛けられたまま2日も生きのびた聖人だった。わたしが、じゃないほうのユダ、タダイと呼んだときは誰それ? なにをしたひとと顎に手をあて首をかしげるお決まりのポーズをさせた。

 フラスカーティが全部教えてくれた。彼女がわたしに教えてくれたことを全部わたしは悪用していた。カエサルをおもちゃにして遊んだ。カエサルはわたしの恋人で夫でともだちで弟でペットだった。罪の意識はケシの実ほどもなかった。



 フラスカーティがひとりでどこかへ出掛けることがあった。まだ月が空に残る朝にならないうちから出掛け、店が忙しくなる昼前には顔を伏せるようにして帰ってきた。エプロンのひもを結びながら2階から降りてくる彼女に父はなにも言わなかった。
 ひとりでどこかへ出掛けた日のフラスカーティはなにもかもが急に嫌になったように見えた。むしろいつもよりてきぱき働いているのにどこか投げやりだった。カエサルを養子にしてから3ヶ月が過ぎていた。

 フラスカーティはカエサルの親戚を探していた。イタリアには孤児を修道院に保護していたころからつづく悪法がある。養子縁組をするには子供を預かってから1年以内にその子供の親戚(3親等)全員の承諾とサインを得なければならない。
 孤児のカエサルの両親はすでにこの世にいなかった。両親共に兄弟姉妹はなく、ひとりっ子だった。両親の親たち、カエサルの祖父や祖母にあたる者で生きていたのは母方の祖父だけだった。その祖父がカエサルを児童養護施設に預けたのだった。
 カルチョとワインにしか興味がない。ちいさな町でも5人はいる。どこにでもいる老人だった。
 チーム名にローマを冠するチーム、じゃないほうのローマのチームのサポーターだった。「去年はタイトルを獲ったのに。今年はなんだかぱっとしない。嫌な予感がする」とため息ばかりをついていた。
 台所の床に脚を投げ出すように木の椅子に腰掛けている。老人が手を伸ばせばぎりぎり届くところに老人が生きていくのに必要なものが必要とされるそのときを待っていた。
 まだいまはそのときではない。腕をワイパーにしてほこりか雨粒のようにテーブルの端のほうにどかされたスペースにラベルが貼られていない赤ワインのボトルと緑色の灰皿が置かれていた。
 フラスカーティの視線に気づいた老人は、ああ、これかとばかりにその灰皿を持ち上げた。
「これは沖縄のシーサーっていう守り神だ。知ってるか?」
 知っていた。フラスカーティは灰皿の側面に彫られた毛むくじゃらのライオンのような、犬のような、そのどちらでもないような獣の目を見ながら頷いた。
「そうじゃない。早合点をするな。俺は沖縄に行ったことがある。アメリカに占領される前の話だ。同盟国の兵士として。潜水艦の乗組員として俺は出兵したんだ」
 必要最低限のことしか話さない。極端に口数の少ないフラスカーティの顔を見て老人は彼女が日本から来た女と気づいたようだ。
「勘違いをするな。俺はそんな話がしたいんじゃない。男女の仲になった沖縄の女。この灰皿を俺にくれた。マツの話がしたいんじゃない。そうじゃない。このシーサーがシーザー[Caesar]だってことが言いたかったんだ。ガイウス・ユリウス・カエサル[Caesar]。知ってるか?」
 知ってるに決まってるよな。老人はひとりで笑った。
「俺は日光にも言ったことがある。違う。戦争中にではない。去年。町内会の旅行で行ったんだ。知ってるか。日本の有名な将軍。日本のシーザー、カエサルが奉られた神社。日光東照宮にもシーサーがいた。参道の両脇にいた。狛犬とか言われてたけど。なんだっけかな。入口の馬鹿でかい門があって。その上にも」
「陽明門」
 先に生徒に答えを言われてしまった教師のような顔をした。睨まれてしまった。
 老人はワインボトルの口を引っ掴んで自分の口に持って行った。ガラスが歯にあたる嫌な音がした。
「勘違いをするな。俺はそんな話がしたかったんじゃない。娘の息子、次男の名前を考えたのは俺だ。チェーザレ[Cesare]の名付け親は俺なんだ」

 フラスカーティがローマ中央駅[Termini]のベンチに座りながら考えていたこと。ショックを受けていたことはふたつあった。ひとつは老人が暮らすあの家でチェーザレが暮らしていたことだった。
 カエサルを産んだ母親は出血死した。父親は泣きながら病院を出たきり行方不明になった。児童養護施設に預けられるまでカエサルはあの家で、飲んだくれのあの老人と暮らしていたのだ。
 老人が市の職員の説得に応じるまでの3年と少しのあいだ彼がどんな生活をしていたのか。させられていたのか。想像することは誰にもできないし、してもただの想像に過ぎない。誰も知らない時間が、知らないことも知らない時間がフラスカーティのこころに重くのしかかっていた。
 あの子はいまはもうあの家にはいない。あの家で見たのはあの子の幻影だ。施設に預けられていたあの子と養子縁組をすることができた。
 あの子はいまはフラスカーティの丘の上のちいさなパン屋の2階で暮らしている。ジーニアという小学生の女の子も男やもめの店主もまるで自分の家族のように接してくれている。
 収入も安定した。貯金も少しずつだけどできるようになった。イタリア語もちょっとは話せるようになってきた。知らなかった。
「チェーザレに歳の離れた兄がいたなんて知らなかった」



 フラスカーティはチェーザレの兄、コジモ[Cosimo]に手紙を書いた。コジモは女から別の女へ、それも複数の女と同時に付き合い渡り歩く。腹が減ったとき一緒にいた女に飯をつくらせ、眠くなったとき横にいた女の家に泊まる。クズもクズ。口紅がべったりついたタバコの吸い殻みたいな男だった。
 コジモはローマの中心部から南に数キロの町、ガスパーレ・ゴッツィ通り[Via Gaspare Gozzi]で暮らしていた。弟の出生を機に家族が離散した翌年の夏(13歳)。ローマ動物園[Bioparco di Roma]の近くにあるマクドナルド[McDonald’s]ですきっ腹を抱えて閉店までテーブルに突っ伏して寝ていたら「家に帰らないのか」と声を掛けてきた女(34歳)がいた。夜通し食べ物を探し昼はマクドナルドで寝る生活をし始めてから5日目のことだった。
 帰るどころか家を出てきた。「ただでも腹が減ってるのに無駄に喋らすんじゃねえ」と怒ると女は「あと1時間でアップするから。これを食べながら待っていなさい」とチキンのシーザーサラダを置いていった。どうせならハンバーガーが良かった。
 私服に着替えた女のあとをついて急いで歩いた。地下鉄に乗る前に振り返った女の顔は怒っているように見えた。ローマ中央駅で乗り換えた。6個目の駅。バジリカ・サン・パオロ[Basilica S. Paolo]駅で女は降りた。
 わりと急な坂道にアパートが壁のように並んでいた。1階はカフェか飲み屋で舗道にテーブルを並べていた。酔っぱらいたちが落ちつかない尻で赤ワインやグラッパ[grappa]を飲んでいた。ドアを開けっぱなしにした車の座席やボンネットの上が金がなさそうな若者たちのカフェで飲み屋だった。
 冗談みたいに騒がしい夜だ。どいつもこいつも浮かれている。笑い転げた女が(10代)が車のクラクションを鳴らしても誰も怒らないどころか振り向きもしなかった。
 地下鉄の出口を出たところで足をとめていたコジモの肩になにかが落ちた。ぷ、と女(34歳)が吹き出した。
 栗の木の街路樹のあいだを右から左へ、左から右へ黄緑色のなにかがぎゃーぎゃー騒ぎながら飛び交っていた。野生化したインコの糞がそこら中に落ちていた。
 壁がクリーム色でブラインドが緑のアパートの9階で女はひとりで暮らしていた。コジモは寝室やバスルームで女がして欲しいことをしながら暮らした。学校と名のつく場所には通わない人生を送ってきた。
 夏のあいだはバルコニーで極力過ごした。夜の駅の向こうに教会の尖塔が見えた。アパートの下の舗道が騒がしいのはいつものことだ。
 教会の時計が午前零時を差した。コジモは丸いテーブルに突っ伏した。寝たふりをして動物園の近くのマクドナルドで起きた奇跡を、出会いを再演するのは女がして欲しいことのひとつだった。女は馬鹿のひとつ覚えのようにチキンのシーザーサラダをつくった。
 ビールはいつもペローニ[PERONI]と決めていた。女に無理やり飲まされているうちにコジモも好きになった。女がペローニを買うためだけに行く酒屋の女(22歳)と教会の近くの映画館で『ダーティーハリー』を観た。「なんだかずっと暗くてよく見えなかった」が女の感想だった。
 確かにその通りだった。けど「映画の最初。マンションの屋上にあるプールで泳いでいた女がスナイパーに狙撃されるシーンだけは目が痛いくらい明るかった」と言うと「忘れた」と言われた。女が口にした「記憶力がいいのね」は褒め言葉なのかわからなかった。
 酒屋の女はアルバイトだった。母親(42歳)と妹(13歳)と2LDKのアパートで暮らしていた。リビングのソファでコジモは寝泊まりするようになった。
 ご飯はコジモと同い年の妹がつくってくれた。コジモは言われればなんでもするのに。してあげるのにして欲しいことを言わないめずらしい女だった。
 女(13歳)に「して欲しいことはないのか。あるならなんでもしてやる」と言うと「しつこい男は嫌われる」と言われた。「嫌いなのか?」と聞くと「嫌いならご飯をつくったりしない」と怒られた。ご飯を食べるくらい朝飯前だった。
 ある日「やっぱあるかも」と女に言われた。いつものように学校から帰るとすぐに買い物に行った。
 顔が隠れるくらい葉が生い繁ったセロリと瓶に入った牛乳をコジモは持たされていた。地下鉄の出口のあたりで振り向いた女に「なんでもしてくれるんだよね?」と念を押された。
「一緒にいて欲しい。ずっとじゃなくていいから。いて欲しい」
「いるだけでいいのか?」
「いるだけでいい」
 女の母親が出勤前にエスプレッソを飲むケーキ屋のおやじに手招きされた。女が帰ってくるのを舗道で待っているとお前も来いと名前を呼ばれた。
 口の開いた白い箱を顔の前に突き出された。まるまると太ったクロワッサンが5個も入っていた。
「おまえマッサージは得意か?」
「得意じゃないけど」
「できるか?」
「できる」
 店の中のテーブルで甘い臭いがするタバコを吸っていたじいさんと目が合った。コジモの代わりにクロワッサンの箱を受けとった女が穴があくほどコジモの横顔を見つめているのはわかっていた。
「毎日じゃなくてもいい。思い出したら来てくれ。店の中を突っ切って搬入口から中庭に出ろ。俺には挨拶しなくていい。501だ。ドアの鍵が開いていたら女房がいる」
 女に「して欲しい」と言われて手紙を書いた。家に帰るなり葉書を置かれた。手紙なんて書いたことなかった。
 なにも言わずに家を出てごめんなさい。コジモはいまここで暮らしています。毎日ちゃんとご飯を食べているから心配しなくていい。それだけでもいいから飲んだくれのじいさんに手紙を書くか、セロリのサラダを食べるかの2択を迫られた。
 セロリを食べるくらいなら。あんなものを口に入れるくらいなら一生日の光を浴びないアスパラガスみたいな人生を送ってもいい。口紅のついたタバコと同じくらいコジモはセロリが嫌いだった。

 フラスカーティが書いた手紙は全部で5通あった。コジモの居所を知っている可能性があるひと宛てに同じ文面で書いた。
 フラスカーティ・徳田と申します。コジモ・エンリコ・カッチャーリ[Cosimo Enrico Cacciari]氏とどうしても連絡をとらなければなりません。彼と連絡をとる手段をお持ちでしたら、あるいは居場所をご存知でしたら教えてください。
 手紙の最後にイタロの住所と電話番号を書いた。そのうちの1通はチェーザレの祖父からもらった葉書に書かれていた住所に送った。
 小学生が書いたような乱れた文字で「コジモはいまここで暮らしています」と書かれていた。セロリとクロワッサンのイラストが添えられていた。絵だけはおとなが描いたみたいに上手だった。
 最も有力と思われるこの宛先には何度も送った。6月11日。チェーザレが5歳になった誕生日にも送った。

 フラスカーティがガスパーレ・ゴッツィ通りのアパートに宛てた手紙は全部届いていた。中身を確認した女(17歳)が破いて捨てていた。女は高校4年生になっていた。
 教えたくても教えられることがなかった。コジモと連絡をとる手段をお持ちではなかった。居場所もご存知ではなかった。コジモはもうこの町にはいなかった。
 コジモは約束を守ってくれた。ずっとじゃないけどいてくれた。来てくれたときはいつも女がつくった料理を食べてくれた。
 年ごろになり背が伸びた。若いころのアラン・ドロン[Alain Delon]にそっくりだとか『ベニスに死す[Morte a Venezia]』のビョルン・ヨーハン・アンドレセン[Björn Johan Andrésen]を彷彿とさせる美少年だとか言われていた。
 もともと姉が連れて来た男だったし母親ともそういう関係だった。コジモが誰となにをしようが気にしない自信があった。そういうことはしないと決めていたから会えない日が何日つづいても平気だった。はずだった。
 高校1年(14歳)の秋。生まれて初めて男に告白された。好きだと言われた。手も握られた。すぐに母親にも話した。そのとき彼氏がいなかった姉に自慢したりもした。
 でもコジモにだけは言えなかった。誰かに聞いて知っていたかもしれないけどコジモはなにも言わなかった。
 女がして欲しいことを言わない限りコジモはなにもしてくれなかった。それはいまもむかしも同じだった。
 言ったもん勝ちとばかりに女たちはコジモにあれこれ要求した。そうはなりたくないと思ったからこそ「一緒にいて欲しい。ずっとじゃなくていいから。いて欲しい」と言ったはずなのに一緒にいられなくなった。
 誰かと一緒にいる限り、過ごしている限りコジモとは一緒にいられなかった。呼べばいつでも来てくれるのに呼べなかった。コジモのことを1日だって思い出さない日はないまま冬になり、春になった。
 告白してくれた同級生の男とは3ヶ月もつづかなかったのにコジモと一緒にいられない時間はつづいていた。夏の記憶もないまま秋になり、冬になった。コジモがこの町からいなくなったと知ったのは年が明けてすぐのことだった。
 ひとり旅でサンフランシスコ[San Francisco]に行った姉から手紙が届いた。高層マンションの屋上にあるプールで泳いだあと「喉が渇いた。コジモ。ビールが飲みたい」と冗談で言ったらクリント・イーストウッド[Clint Eastwood]が掛けてるみたいなサングラスをしたコジモがペローニを持ってきてくれた。
 嘘だとわかっていても羨ましかった。女(17歳)はまだビールを飲んだことがなかった。破いた手紙の返事を書くことにした。
 コジモはもうこの町にはいません。コジモは女がいないと暮らせません。女もコジモがいないと暮らせません。



 フラスカーティはカエサルと暮らしつづけることは出来なかった。カエサルの兄の承諾とサインを得ることが出来ないまま1年が過ぎてしまった。
 いつ福祉課の職員が来てもおかしくない日の朝。観光で近くのホテルに滞在していたアイルランド人の神父様[Padre]に相談した。
 父に頼んでつくってもらっていたアイルランド風のパンケーキ[Boxty]をナイフとフォークでサラダと一緒に上手に食べながらアウグスティヌス[Augustine]神父様はフラスカーティの話を聞いていた。ふたりは店先に置かれたテーブルで向かい合って座っていた。
「でしたら本人にどうしたいか聞いて見ましょう。それがいちばん早い」と神父様は言った。店の中からわたしと一緒にふたりの様子をうかがっていたカエサルが神父様の手招きで呼び寄せられた。
 わたしは行っていいと許可を与えた。ついでにわたしもついていった。
「僕は修道士になる」
 カエサルの言葉に、そこにいた誰もが驚いた。隣りに立っていたわたしがいちばん驚いた。開いた口が塞がらなかった。
「わかりました」
 誰もがではなかった。神父様だけは驚いてなかった。
「あとこの本を読めるようになる」
 カエサルはお気に入りの外国語の本を神父様に自慢げに見せた。
「新約聖書物語」
 その言葉に驚いたのはフラスカーティだった。
「神父様は日本語がお読みになられるのですか?」
「わたしはいま四日市[Yotsukaichi]という町の修道院にいます。その前は函館[Hakodate]という町にいました」
 日本語と思われる言葉で神父様は言った。フラスカーティがすぐにその場で通訳してくれた。
「僕も一緒に行く。日本に行く」
 わたしはずっと開けっぱなしにしていた口と両目をカエサルに向けた。
 おとなになったいまのわたしなら理解することができる。母親の母語を子どもが話せるようになるのは川が海に流れつくくらい自然なことだ。
 わたしだけがなにを話しているのかわからない会話がそれから5分くらいつづいた。わたしの人生の中で最も長い5分だった。いつかわたしも日本語を話せるようになる。いつかと言わず留学できる年齢になったら日本に勉強しに行くとこころに誓った。
 なのにわたしはまだこの町にいる。太ったおばさんになってもまだ父と暮らしている。Netflixで日本の映画をたまに観たりする以外日本と縁のない人生だった。

 フラスカーティはドイツのヴッパータール[Wuppertal]という町にオーディションを受けに行ったきり帰ってこなかった。
 わたしがため息ばかりをついていると「合格したってことだろう」と父は言った。彼女がダンサーだったことを最初から知っていた言い方だった。



 フラスカーティ[Frascati]に観光客が戻ってきた。味見をしながらその場で切ってもらった生ハムやチーズ、豚の丸焼き[porchetta]をワインと一緒に味わう。フラスケッタ[fraschetta]の店もコロナ前みたいに賑わってきた。
 とはいえ今年もあと4ヶ月。なにか始めなければ。なにをどう始めたらいいのか考えているうちに9月になってしまった。せっかくの休日なのになにも手につかず猫のトイレの掃除をしているとめずらしいひとから手紙が届いた。
 ジェームス・オーガスティン[James Augustine]・……。アウグスティヌス神父様からだった。オールバックに丸メガネ、白髪まじりの口ひげをたたえた神父様の風貌を手紙を読みながらきのう見たかのように思い出していた。

 フラスカーティ[Frascatie]が亡くなりました。がんの告知を受けた5日後のことでした。65歳でした。
 彼女が所属するカンパニーが日本に来たとき1度だけですが会うことができました。新宿[Shinjuku]の劇場で公演(『わたしと踊って』)を観たあと慣れた足取りで神楽坂[Kagurazaka]という芸者がいる町に連れて行ってくれました。10年以上前の話です。伊太八[Itahachi]というラーメン屋でネギみそ叉焼麺を食べました。
 叉焼(チャーシュー)というのはポルケッタ[porchetta]にとてもよく似た料理で、中国発祥のローストポークです。雨が降ればきっと雪になる。冷たい夜の中、タクシーに乗り込む彼女を見送りました。
 日本のタクシーのドアは自動で閉まります。なのに彼女は乗り込んだあと、おどけたように体を横倒しにして笑顔をわたしに見せてくれました。
 ついには仰向けになり手を振ってくれた。その姿はチェーザレとどうしても別れたくなかった、離ればなれになりたくなかったあなたが空港のロビーに寝っ転がって駄々をこねた姿そのものだった。フラスカーティはジーニア、あなたのことを思い出していました。
 なのにすぐに手紙を書かなかったことをおゆるしください。チェーザレにも伝えました。彼はいま藤沢[Fujisawa]という町で神父をしています。江の島[Enoshima]という灯台の島の近くの教会です。中学や高校で聖書の講義もしています。



 フラスカーティの祭壇に神父様から届いた手紙をお供えしました。わたしの部屋の出窓につくったルルド[Lourdes]のマリア様とイエス様の十字架が立てられているだけの質素な祭壇です。あしたは聖アンドレアの日[St.Andrew’s Day]です。アドベントになれば降誕図も飾ります。
 きょうは午後、店を閉めたあと、あんパンの試作をしました。あなたに教わった通り、あんの砂糖の量を半分にしました。口の中は甘くなってもこころの中まで甘くはならない甘さでした。日本のひとは抹茶に砂糖をいれないと聞きました。道理で日本のひとに太ったひとがいないわけです。
 あと。あんパンのあんとパンのあいだに隙間というにはあまりにおおきな隙間ができます。常連さんにその分安くしろと言われそうでちょっと怖いです。(G)

 日本のひとにも太ったひとはいます。ただ年齢を重ねるにつれ全員が全員太るわけではありません。若いころより痩せているひともいます。土産物屋のさゆりさんは前者です。経理の飯野さんは後者です。ちなみにわたしは前者です。八部公園[Happe Park]のトレーニング・ジムに入会しようか。本気で考え始めています。
 あんパンはあんとパンの隙間がなければあんパンにはなりません。常連さんにはパンテオン[Pantheon]みたいにふっくら焼けた証拠だと言ってあげてください。あんの甘さはお好みでいいと思います。
 交通事故を起こしたともだちの裁判があした決審します。1年にわたり口頭弁論を重ね、裁判所による証拠調べや尋問を受けてきました。和解が成立する可能性は五分五分だと弁護士さんは言っています。
 書いたら気持ちが少し楽になりました。メリークリスマス。良い年末年始をお過ごしください。あなたのアンドレア[X]より。(C)

 フラスカーティ[Frascatie]がいないフラスカーティ[Frascati]でわたしは45年生きてきました。なのにわたしはいまさみしくてさみしくてしょうがありません。フラスカーティがこの世にいないことが信じられないのではありません。ずっと会っていなかったのだから彼女がいまこの瞬間を生きていようがいまいが変わらないと思っていました。会えないなら同じだと思っていました。
 でも違いました。誰もいない海の上にも雨は降るのです。山のもみじは葉を落とすのです。雪は教会の裏に立て掛けられたスコップの上にも降るのです。(G)

 アウグスティヌス神父はいま神戸の病院で集中治療を受けています。お見舞いに行ってきました。ワクチンは5回打っていました。それでも感染したのだそうです。
 呼吸器をつけて横になっているアウグスティヌス神父の横顔を見ながらわたしは去年の秋、江の島の教会で45年振りに再会した日のことを思い出していました。
 アウグスティヌス神父の故郷であるアイルランドの首都、ダブリンのひとたち[Dubliners]はみんなお酒が大好きなのだそうです。アウグスティヌス神父はお酒に溺れたことがきっかけというか、お酒を断つために修道士になったのだそうです。「幻滅しましたか?」とわたしに聞くのです。「そんなことありません」とわたしは言いました。
 わたしも同じでした。わたしはわたしの母になってくれたフラスカーティと、わたしのともだちになってくれたジーニア、あなたと別れるくらいなら死にたかった。いまの生活が失われるなら死ぬのと同じだと思っていました。思っていたけど言えませんでした。なので修道士になりました。
 でもあなたは泣いてくれました。嫌だ、別れたくない、離れたくないと言ってくれました。空港の出発ロビーで。荷物の検査を受けたわたしはもうゲートの向こうにいるのに過呼吸で死んでしまうのではないかと思うくらいおおきな声で泣きながら叫んでいました。
 わたしがどこにも行かない日も空港にはたくさんのひとがいて、たくさんの飛行機が、わたしがまだ行ったことのない、たぶんこれからも行くことのない町に向かって飛んでいきます。
 わたしのいないところでつづいている時間があります。わたしが知らないことも知らないうちに終わってしまった時間もあります。泣いているのはあなたです。
 荷物の検査を受けたわたしはそこにいます。ゲートの向こうに立っています。空港のなにもないところにも、誰もいないところにも鳴り響く。あなたの声を聞いています。(C)

 フラスカーティがレシピを残してくれたメロンパンを焼いてから空港に来ました。あなたの5歳の誕生日に彼女が焼いてくれた日本のお菓子みたいなパンです。
 フラスカーティ行きの電車に乗ったら電話をする。そしたら駅まで迎えに行くと約束していたのに来てしまいました。
 わたしの隣りのテーブルでさっきからずっとそわそわしている男がいます。いまのいま。いまのことです。
 ノーネクタイの黒いスーツのその男は、前者か後者かで言ったら前者のほうです。ちなみにわたしも前者のほうです。自撮りの写真を1枚も送ることができないまま2023年2月21日を迎えていました。きょうになってしまいました。なんでもかんでも問題を先送りにする自分を恨みながら空港の到着ロビーの片隅にいます。パーテーションで仕切られただけのカフェで、ただ茶色いだけの薄いコーヒーを飲んでいます。
 スーツケースを引いた女が到着ゲートから出て来ました。男は後ろ手に1輪だけのバラの花束を隠しながら氷の上を滑るペンギンみたいに飛んでいきました。
 ペンギン男のサプライズは成功しました。1輪だけのバラの花束を受けとった彼女と抱き合いキスをしています。いまのいま。いまのことです。
 いまわたしが書いているこのメールがあなたに送信されることはないと思います。ないと思いながら書いています。30分遅れとか1時間遅れとか。たぶんそんな感じで到着ゲートから出てきたチェーザレ、わたしのカエサル、あなたの姿を見るやいなやきっとわたしは飛び出していく。
 いまのいま。いまのわたしはもうどこにも行く必要がありません。いまのいま。いまのわたしは。(G)


(『わたしを見つけて』7)

著者:横田創
校正:矢木月菜
装丁・組版:中村圭佑(IG /TW
WEB:橋本忠勝(リブアーク
編集:竹田信弥
発行:双子のライオン堂