抱っこはしない(テキスト版)

 高さの違うどっちもおおきなタンスが2つ。あとベッドが1つ。ほかにはキャットタワーがあるだけの寝室の窓際に、ぺろは寝そべっている。
 美衣子(みえこ)が洗濯物を畳んだあとわざとしまい忘れていたバスタオルの上だ。3枚重ねの座布団だ。香箱座りで、うたた寝をしている。風と光と下校途中の小学生のはしゃぎまわる声と足音で膨らんだレースのカーテンが頭の上で揺れるままにしている。
 目を閉じてはいるが眠ってはいない。耳の先をわずかに動かし「知っているよ」「美衣子がそこにいるのはわかっているよ」と返事をしている。
 美衣子は寝るときも部屋のドアを閉めなかった。寂しがり屋なのだ。ドアを閉めるとドアの外になにかを閉じ込めてしまいそうで怖いのだ。
 部屋に入りドアを閉めるとドアの外になにがあるのか、誰がいるのかわからなくなる。なにが起きているのか、なにも起きていないのか? 気になり眠れなくなる。美衣子はできることなら目を開けたまま眠りたかった。
 美衣子は寝室のドアを閉めたことがなかった。子供がまだふたりともちいさかったときも、誠が中学生になりことみが高校生になってからもドアを閉めなかった。
 離婚しても男を連れ込むようなことはしなかった。ひとりになっても母親なのだ。車で迎えに行ってラブホテルに行くなんてこともしなかった。寝るときはいつもひとりで寝ていた。
 ドアを閉めると男を連れ込んでいると思われるかもしれなかった。本当は部屋の中にはいなくて、いつもひとりで寝ているなんて嘘も嘘の大嘘で夜な夜なこっそり出掛けて男とホテルに泊まっていると思われるかもしれなかった。
 美衣子は頑固で臆病だった。電車に乗ればコロナに感染するかもしれない。いつかまた七夕豪雨みたいな大雨が降るかもしれない。あした地震が起きるかもしれない。かもしれないことにおびえながら生きている。美衣子はもうすぐ70歳になろうとしている。
 関東大地震が起きたときはまだ生まれてなかった。子供のころから地震にだけは気をつけなさい、いつかかならず東海大地震が起きると言われつづけてきた。
 なにがなんでもこのまま1度も大地震を経験せずに死ぬことを、別の死に方をするのを望んでいるのかと聞かれれば、死にたくない、としか言えなかった。津波に飲み込まれた家の2階に避難してもまだ水が追いかけてくるのなんてごめんだった。皿が高いところから落ちて割れるのを見たくなかった。だもんで台所の食器棚のすべての取っ手には緑色の手提げホルダーが掛けられている。
 静岡の人間なら誰でもそうしている。おでんに黒いはんぺんを入れるようにそうしている。美衣子はひとと違うことをするのが大がつくほど苦手だ。
 美衣子がいま肩をもたれているドアの隙間の奥にフェルトのちいさなボールが挟まっている。ぺろは薄目をあけてそれを見ている。
 ぺろがサッカーをして遊ぶためにAmazonで買ってもらった猫用のカラフルなボールだ。その中のひとつ。オレンジのやつだ。
 セットで買ったボールは全部で6色あった。なのにいまは紫のと薄い黄色のやつしか見あたらなかった。
 なくしてしまったと美衣子は思っている。見捨てられてしまった気分でそのボールのことを忘れる努力をしている。
 そんなことはなかった。美衣子はなくしてなんてなかった。見捨てられてなんかいなかった。青いのは美衣子のベッドの下でほこりまみれになっているし緑色のは美衣子が今朝掃きそうじをした玄関の靴箱の下でじっとしている。グレーのは1階の、いつでもドアを開けっぱなしにしているトイレの便座の後ろにある。
 美衣子が去年の冬、散歩の途中で落としたSOU・SOUの手袋はみかん畑の下の小川の土手にいまも引っかかっている。親指と人指し指だけわかれた、ちょっと変わった3本指の、したままスマホの操作ができるすぐれものだ。
 小川にカワセミがいたのだ。急いで美衣子は写真を撮ろうとして、したまま操作ができることを忘れていた。肘まである長い手袋を脱ぎ、あわてて左の脇の下に挟み込んだ。みかん農家のおじさんが渡した手作りの橋の上でするりと落とした。
 美衣子がみけこと呼んでいた野良猫が子供を産んでいた。4年くらい前の話だ。その発泡スチロールの箱はいまも崖になったみかん畑のトロッコの錆びたレールの下にある。それは美衣子も知っている。
 4匹いた子猫は美衣子の気配がするだけで、来たとわかるだけでみいみい泣いた。それがどうにもかわいくて散歩の回数が増えた。朝だけではなく夕方もするようになった。美衣子が離乳食代わりに子猫にあげていたチュールの切れ端はみかん畑の落ち葉の吹きだまりの下で、意味が真逆のサスティナビリティ、持続可能な余生を過ごしている。
 その小川に沿って5分くらい歩いた先に公園がある。美衣子がたまに散歩で行く鶴舞公園だ。そこで野良猫にエサをあげていた地主の老女は市役所や保健所で働くひとたちの説得を受け入れ今年からエサやりをやめた。晴れた日には富士山が見えるベンチの下にはまだそのお皿が残っている。メルカリで売ればそれなりの値のつくノリタケの6枚セットの小皿の1枚だ。
 美衣子がまだ小学生で、実家がまだ農家をしていたころ猫を拾った。オリンピックが開催された年の夏休みが始まる前の日だった。親には言えず、家の裏にある寺の境内の下で飼うことにした。
 エサやりは夜が明ける前に済ませた。親には学校で飼ってるうさぎのエサにする草を取りに行くのだと嘘をついた。
 朝だ。夜じゃなくていまは朝だと自分に言い聞かせながら寺の敷地に忍び込んだ。風で倒れた卒塔婆を手で払うようにして歩くのは気持ちのいいものではなかった。
 みいは呼ぶとすぐに、みい、と返事をしてくれた。暗闇の中からみいの声だけが聞こえる。
 みいは臆病で、どんなにおなかがすいていても美衣子が見ている前では食べようとしなかった。煮干しの出涸らしやらアジの干物の頭やら骨やらを入れた漆の剥げたお椀を境内の下に置いてゆくしかなかった。
 夏休みが終わった。美衣子は高熱を出し始業式を休んだ。みいのエサやりにも行けなかった。ようやく登校できた日の帰り道。美衣子はランドセルを背負ったまま右の頬を地面に擦りつけるようにして境内の下を覗き込んだ。
 うしろの竹藪から差し込む西日が寺の境内の向こう側まで照らしていた。ブロック塀の下までびっしりと生えた苔の先についた水滴まで見えた。
 寺の境内の下は自分の家の縁の下よりも高かった。鍬とか草刈り鎌とかシャベルとか畑で使う道具が放り込まれてなかったから全部見えた。その全部の中にみいの姿はなかった。
 小学生の美衣子が、みいの返事が聞こえたほうへ肩が外れるくらい腕を伸ばし、あとでいいから食べてね、あしたも元気な声を聞かせてね、それでいつか抱っこさせてね、約束だからねと祈りながら暗闇の中に指の先で押し出すようにして置いたお椀は57年と3ヶ月と2日たったいまでもそこにある。
 
  ※

 ぺろ、と呼ぶとまぶたの下の目が動く。動いたのがわかる。ぺろ、ともう1度呼ぶと、めんどくさいなあとばかりに短いしっぽを振る。ぺろはやっぱり寝たふりをしている。
 美衣子はまだそこにいた。敷居の上に足を掛けたままでいる。自分の部屋なのにぺろが気持ちの良さそうな顔をして寝ているから遠慮して中に入ってこないのだ。
 美衣子はぺろのしたいことをしたいようにさせてくれた。尊重し過ぎていると言ってもよかった。生真面目というか律儀というか。我慢強いというか。執念深いというか。1度閉めたら2度と開かないからくり箱のように変えようとしない。
 タバコの銘柄もずっとマイルドセブンのスーパーライトだ。いまはメビウスという名前の3ミリグラムだ。
 ことみが9歳のとき離婚してから実家に1年居候しているあいだにこの家を建てた。これでタバコを好きなときに好きな場所で好きなだけ吸える。施工業者からこの家を明け渡されたときも美衣子のエプロンのポケットの中にはマイルドセブンのスーパーライト(水色のソフトケース)が入っていた。
 好きなときに好きなだけ吸えるようにはなったが「好きな場所で」だけはかなわなかった。ことみの「けむい」のひとことで台所の換気扇の下が美衣子の喫煙所になった。
 美衣子は最近、子供用の椅子の座面をホームセンターで張り替えた。ことみがちいさいころ使っていた椅子だ。いまは美衣子がタバコを吸うときの指定席だ。今朝もその椅子に尻をはめ込み、ロダンの考えるひとのポーズでタバコを吸っていた。
 美衣子はSOU・SOUという京都で人気のブランドが好きだ。好きというより執着している。スニーカーも靴下もズボンもカットソーも上着もソファも座布団も帽子もSOU・SOU。こうと決めたら変えないというか一途というか。
 ぺろがこの家で暮らすことになったとき美衣子はことみからいくつかアドバイスを受けた。アドバイスというより注意事項。禁止事項を言い渡された。
 その中の1つが、抱っこはしない、だった。ぺろがこの家に慣れるまでは絶対にしないと約束して欲しい。ことみは美衣子にそう言い残し、泊まりの仕事に出掛けた。
 律儀に美衣子はこの禁止事項を守りつづけている。おかげでぺろが隠れているソファの下や押し入れの奥からむりやり引っ張りだされるようなことはなかった。ぺろが出てくるまで美衣子は辛抱強く待った。
 ぺろは美衣子のことが好きなのだ。その証拠に美衣子が寝ているときも、ぺろがどこでなにをしているのか知らないあいだも美衣子を見ている。美衣子の寝室が玄関の真上にあることはこの家で暮らし始めた次の日には把握していた。
 美衣子が寝るのはいつも午前零時だ。家の中の音がしなくなると同時にぺろの運動会が始まる。
 玄関の上がりかまちに敷かれた絨毯がスタート台だ。ぺろはお尻ふりふりをしてから後ろ足で勢いよく蹴りロケットスタートをする。
 ロケットスタートが決まったら4つの足を滑らせながらのコーナーリングだ。爪をしゃかしゃか鳴らしながら廊下の突き当たりを左に曲がるとお風呂の脱衣所だ。その奥にあるスライド式のドアが開けっ放しになっていた夜はそのままスピードを落とさずリビングまで最高速度で駆け抜ける。
 ぺろは障害物競走みたいにテーブルの下の椅子のあいだをくぐり抜けるのを忘れない。そこまで来ればもうすぐゴールだ。夏でも冷たいタイルの張られた玄関に、どうだとばかりに着地する。勢い余ってドアに背中をぶつけることもある。その音が夜のしじまに響き渡る。
 ぺろは飽きるまで何回もする。同じことをする。飽きたらしない。雨が降ろうが槍が降ろうが大地震が来ようが、しない。
 ぺろも頑固だ。美衣子に負けないくらい意固地で臆病だ。ちょっとおおきな音がしただけで飛び上がり毛を逆立てる。
 夏が終わりコロナが一段落したころから、ことみが仕事で家をあけることが多くなった。長いときは1週間くらい帰ってこない。ぺろと美衣子。ふたりだけで過ごすことのほうが普通で自然になった。
 去年の秋。ことみは離婚した。次に住む家が見つかるまでという約束でぺろと一緒にこの家で暮らすことになった。
 ことみの新居探しは思いのほか難航した。コロナのせいで清水と東京を電車で往復するだけで大仕事だった。フリーランスの人間の審査はやはり厳しかった。なかなかローンを組ませてもらえなかった。新居が見つからないまま1年が過ぎた。
 ぺろがいまこの家で暮らしていることはシェルターのひとたちも知らなかった。シェルターというのは野良猫を保護し里親を見つけるための避難所だ。三保にあるシェルターでことみはぺろを見つけた。その日のうちに手続きを済ませ里親になった。
 ぺろは4匹の姉妹と一緒に保護された。シェルターのルールで、どこでどのようにして保護されたのかは里親といえども知ることはできなかった。
 スフィンクスのような座り方ができる筒型の青いキャリーバッグに入れられたぺろはタクシーで清水駅まで移動したあと東海道線に乗った。ぺろは藤沢駅に着くまで1度も鳴かなかった。
 ぺろは築80年の古い民家で暮らし始めた。平屋で天井が高く、隙間風がひどかったから冬になると鼻を垂らした。白い大きなストーブの近くに置かれた人間をダメにすると言われる巨大なクッションみたいなソファがお気に入りだった。
 ぺろはその家で3年暮らした。風が馬鹿みたいに気持ちいい縁側で何百回もうたた寝をした。人間たちが食事をするのと同じタイミングでご飯を食べた。何千回もおしっこをした。家の中を何万歩も歩き何億回もまばたきをした。玄関の横の窓から一生分のALSOKをした。
 その家は去年の秋の終わりに取り壊された。ことみが離婚したあとすぐに更地にされた。いまは黒いただの箱みたいなアパートが建っている。
 まだ建ったばかりの建物に近づいてみると、どこに玄関があったのか、どこが居間でどのあたりが縁側だったのかさえわからなくなる。
 離れるとわかる。見ないとわかる。行かないと行ける。カーテンが揺れる。ぺろが3年暮らしたあの家と同じ風を感じるときがある。
 ストーブがいらない季節になると襖は取り払われた。障子は隅に寄せられ縁側の窓は網戸になった。あまりにスムーズで気持ちが良くて魂だけになった風が家の中を吹き抜けた。
 夏の縁側はぺろの遊び場だった。杉材の、フローリングとは呼べない古い板はいい具合に爪がかかった。家そのものが爪とぎみたいな家だった。ぺろはあの家が好きだった。

  ※

 美衣子の朝は早い。やうやう白くなりゆく山際少しあかりて紫だちたる雲の細くたなびきたるころには例の椅子に座ってその日1本目のタバコをくゆらせている。
 台所の換気扇の真下に置いた子供用の椅子。そこが美衣子の振り出しだった。洗濯。掃除。食事のあとの後片付け。なにか1つし終えるとルンバのようにそこに戻る。
 美衣子の朝食はトーストと飲むヨーグルトだ。それもR-1 の1択だ。冷凍で保存していた食パンをトースターで焼いているあいだ冷蔵庫の前で立ったまま飲むヨーグルトを飲む。
 20代なかばで結婚してから離婚するまでのおよそ9年間。毎朝味噌汁とご飯に目玉焼きか焼き鮭の朝食を姑につくらされていた反動だった。
 実家の朝食も似たようなものだった。出戻りの居候として暮らした1年間。つくらない日はなかった。つくるのは自分なのにつくりたいようにつくらせてはくれない。早く家を出たい。自由気ままに暮らしたい。30代なかばの美衣子は10代後半の少女のような願いをずっとこころに秘めていた。
 おはようございます。12月2日。木曜日です。
 朝ドラを観たあと美衣子はそのまま朝のワイドショーを観る。今朝は新型コロナウィルスの新株の世界的なひろがりにより国際会議などの外交日程に影響が出始めているニュースと、史上最悪と言われた「煽り運転」をした男(43歳)とその一部始終をスマホで撮影していた女(55歳)の「あの人は今」みたいなレポートだった。
 最上階にある男の高級マンション(ペントハウス)はおととしの12月に競売に掛けられ、地裁から退去勧告がいまも出されていた。そんな中、犯人隠避・隠匿の疑いで逮捕されたのち罰金30万円の略式起訴を受け釈放されたスマホ女の新事実が判明した。
 美衣子は顔をあげた。
 女は年齢を偽っていた。煽り運転をした男も騙されていた。男と年齢がひとまわり違うと報道されていた女の本当の年齢は67歳だった。
 美衣子は、なんだそんなこと、ていう顔をした。髪の毛は地毛ではなくてカツラ、ウィッグだったとリポーターの男が言った。
 そこはほっとけよ。
 美衣子は新聞に視線を戻した。わざわざウィッグと言い直したのが笑える。そしてまたラジオのように聞くだけの顔になった。
 自分と同じ歳だから同情したわけではなかった。美衣子にとって煽り運転はゆるすことのできない悪の所業だった。
 いまはモニターの横に立った司会者の進行で煽り運転をするの人間の人間性(というか非人間性)についての話し合いが行われている。美衣子はテレビの前の座卓とあぐらをかいた膝のあいだに新聞をひろげている。電気カーペットの上にひろげると、ぺろが飛んできて下にもぐり込むトンネル遊びをするのがわかっているからだ。
 朝のワイドショーを観たあと美衣子は書斎で2時間、午後は3時間くらい仕事をする。締め切り前は夕食後の時間もする。ミステリと呼ばれるジャンルの英語の小説を翻訳するのが仕事だ。聞こえてくるのはキーボードをぱちぱち叩く音と、しゃらしゃら辞書をめくる音だけだ。
 美衣子にはともだちと言えるようなともだちがいない。高校を卒業したあとすぐ地元を離れたから地元のともだちとはともだちのまま疎遠になった。京都の大学を出たあと東京で働き始めたから京都のともだちはともだちのまま年賀状を送り合うだけのともだちになった。
 1年に1度同窓会をする高校時代のともだちは地元を離れて東京で暮らしている男ともだちだ。同じ歳だから仕方がないにしても5人が5人全員同時に、おととしの春に定年退職を迎えた。その同窓会もコロナが流行してからは1度も開かれていない。
 8年前。姉の里見が亡くなってから電話も鳴らなくなった。たまに訪ねてくるのは狩猟で獲った鹿肉を届けてくれる里見の息子、甥っ子の太地くらいだ。それも1ヶ月に1度あるかないかのことだった。
 いまはスマホがあるし、壁掛け式の電話はなおさら不要になった。むかしはそれこそ土間があり、襖で仕切られた畳の部屋しかなかった実家を兄の真隆が吹き抜けになったリビングに暖炉がある北欧式の家に建て替えたあとも和室で黒電話を使っていた母親の気持ちがいまになってわかった。
 ぺろと美衣子。ふたりだけで過ごしていると家の中に誰もいないような気がした。仕事の手をとめたときやトイレを出たとき、夜中にゴミを出してきたとき、ふとしたとき、ぺろの姿が見えないと不安になった。
 ぺろは呼んでも返事をしてくれないから探すしかなかった。どこでなにをしているのかわからないまま仕事をすることはできなかった。トイレに行きたいときでもトイレに行きたい状態のまま美衣子は家の中を歩きまわった。
 ぺろが自分から外へ行きはしないことはわかっていた。家のどこかにいるのもわかっていた。わかっていたからこそわからないことが不安にさせた。ぺろが見つかるまでのあいだ息をするのも忘れて探した。
 そしていつもかならず思うのだった。こんなことになるなら、抱っこしておくべきだったと思うのだった。娘の言いつけなど守らず、したいことをしたいようにすればよかった。我慢なんてしなければよかった。遠慮なんてするべきじゃなかった。まだどんなことになるのか、なったのかわからないうちから美衣子は後悔した。
 こんなことになるならやらなければよかった。離婚すると知ってたら結婚なんてしなかった。まさか浮気されるなんて思わなかった。外に女をつくった夫の帰りを夫の両親と一緒に待つなんてことになるとは思わなかった。夫が連れて帰った外につくった女とその子供の代わりに家を追い出されるなんて思わなかった。まさかもまさか。まさかそんなことになるとは思わなかったことしか起きなかった。
 生まれて初めて書いた映画の脚本がコンペで負けたときもそう思った。書かなければ良かった。書かなければこんな思いをせずに済んだと思った。
 高校の映画部に所属していた美衣子はいつか地元を舞台にした映画を撮るのが夢だった。2年生になり、ようやく脚本を書くことがゆるされた。ゆるされたというだけのことで部内のコンペで1位をとらなければ撮影されないのは承知していた。
 ときは1960年代初頭。いわゆる高度経済成長期の日本。東京オリンピックに向けて東名高速道路と東海道新幹線の建設を急ピッチで進めていた。
 静岡県清水市(現・静岡市清水区)では南アルプスの南端にあたる尾根が高速道路と新幹線によって3つに分断された。
 インターチェンジのジャンクションの脇に残された山が八坂神社。あいだの尾根はのちに芝生の丘が美しい秋葉山公園として整備された。戦前は相模湾も一望できた秋葉山神社は海沿いのこの土地にひとが暮らし始めたころから離れ小島のように尾根の突端にあった。元はと言えば鶴舞公園も同じ尾根の一部だった。
 そんな折、ショベルカーで切り崩した尾根の下から古墳が見つかった。その埋葬品の中から千年とか2千年とかそういう単位のむかしにあるはずのないものが見つかった。それはイミテーション(ジルコニア)のダイヤのネックレスだった。
 とまあ、いまで言うところのタイムスリップもののファンタジーだった。説明台詞ばかりの脚本だったから1次選考で落とされた。主人公の女の子が古墳時代にタイムスリップして王族の子息(王子)と恋に落ちるという設定からして無理があったし高校の部活規模の予算では古墳時代の家や町を撮影するためのセットを組むことさえできなかった。
 それでも美衣子は諦めきれなかった。美衣子は生まれて初めて後悔をしてもいいと思った。
 先輩に借りた8ミリのカメラで撮影することにした。カボチャのケーキが人気の純喫茶でバイトを始めてフィルムを買った。ひとりでロケハンもした。買えなかった衣装は自分で縫った。話したこともなければ名前も知らなかった演劇部の子を説得して主役を引き受けてもらった。
 半年かかってどうにか撮ることができたフィルムの全部を繋げても15分にしかならなかった。ならなかったけど後悔してはいなかった。生まれて初めてともだちと胸を張って言えるともだちができた。
 主役のその子と学校に忍び込み、ふたりだけの上映会をした。部室は屋上にあった。もともとは左翼の過激派のひとたちがアジトにしていた掘っ立て小屋だった。
 外壁の板に張った白いシーツをスクリーンにした。無理して飲めないお酒を飲んだ。家から盗んできた父親のウィスキーだった。
 からからと音を立ててフィルムは回った。手持ちカメラで撮った揺れまくりのブレまくりの無声映画だった。クライマックスも、落ち葉を踏む自分の足元と赤いダッフルコートを着たその子の背中しか写ってなかった。切られずに残ったクスノキだけが丘の上に立っていた。
 工事現場を囲う黒と黄色のフェンスの前で振り返ったその子の顔が映し出されたところでフィルムが切れた。酔っぱらった美衣子は掘っ立て小屋の壁にもたれて眠り始めた。
 使われてない教室から盗んできた木の長椅子の上に置いた8ミリの映写機を片付けながら伊緒は高校を卒業してから上京するためにすぐにでもできるバイトはないかと考えていた。
 東京に出てからはあっというまだった。やっぱり大学に行くべきだったと思い、お金を貯めるために東銀座にあった不動産会社で事務の仕事をしながら夜の仕事もしているうちに20代もなかばを過ぎていた。
 女優になる夢はとっくのむかしに諦めていた。伊緒はいまで言うところのパパ活をしたお金で映画の学校に通い始めた。京橋の古いビルの地下と1階にある学校だった。
 千葉の馬橋という町で見つけた、当時はちょっとめずらしかった女性専用の下宿で8年暮らした。隣りに大晦日になると鐘をつくお寺があった。隣りの部屋の特急列車の車内販売をしていた女の子とほうれん草だけの常夜鍋をつつきながら「伊緒は美人だからね」と言われたことだけおぼえている。映画の学校で学んだことはなににもなりはしなかった。
 ともだちはできなかったが男はできた。子供は産まなかったけど小ガネはできた。
 のちにバブルと呼ばれる時代だった。伊緒は芝浦のディスコで仲良くなった年下の男の会社で働いていた。
 仕事は営業だ。長野県の白馬という国内でも有数の規模を誇るスキー場がいくつもある町のリゾートマンションを売るのが仕事だった。
 本気でほんとにスキーをやるため、楽しむために購入したひとには申し訳なかった。ごめんなさいとしか言えないような仕事をいっぱいした。小ガネはできたけどともだちは失った。
 コロナが流行する前の年の夏。伊緒は白馬を20年ぶりに訪れた。アウトドア・ブランドのお店がJRの駅からスキー場へ向かう町のメインストリートに建ち並び、車や高速バスで訪れる登山客で賑わっていた。来年の夏にはスタバもある商業施設ができるというから驚くしかなかった。
 レースの黒いワンピースに黒いポシェット。黒い日傘を差し、黒のパンプスでスマホ片手に歩きまわるわけにはいかなかった。都合のいいことにバスを降りたところにモンベルがあった。
 伊緒にしてはめずらしく明るい色のTシャツとハーフパンツを買った。ダイヤのネックレスは外した。
 お店のひとに薦めてもらった軽くて歩きやすいサンダルとストックも似た感じの色にした。きのう買ったばかりのウィッグと同じ明るめの茶色かオレンジか白。流行りの同色コーデという感じで気に入った。
 伊緒のほうから声を掛けたわけではなかった。確かに歳はとった。人生2度目の東京オリンピックがまもなく開催されるのだから当たり前だった。
 それでも伊緒は気に入っていた。鏡の中の伊緒は鎌倉の山のほうで隠居している昭和の名女優みたいに上品な顔立ちをしていた。伊緒の目にはそう見えた。
 歳をごまかすつもりはなかった。話の流れでなんとなくそうなった。他意はなかった。自分が思う自分を思った通りに話しただけだった。
 仕事をなにをしてるのかと聞くと「おかげさまで社長をさせていただいております」と屋敷は言った。「おります」のあたりで目線を外した。手を使わずにアイスコーヒーのグラスのふちで踊るストローを唇で追った。
 名刺も出さずに社長を名乗る人間を伊緒は数え切れないほど見てきた。ひとりの例外もなく全員親の金で遊んでいるアホのぼんぼんだった。伊緒は代わりに自分の名刺を渡した。
 伊緒が小ガネを持ってると確信した屋敷は「ちょっとひとっぱしりしてきますわ」と車を取りに行った。5分後。夏は登山の玄関口として利用されているスキー場のゴンドラリフトの真下のカフェまで白いスポーツカーで乗り付けた。
 指先が露出した黒い手袋をしている。わざわざその5分のために掛けたサングラスを外しながらカフェの扉を開け窓際のテーブルに大股で近づく。その様子を伊緒がスマホで撮影していることに気づくと「なにしてんすか。恥ずかしいじゃないですか」と笑った。伊緒はターゲットを始末する前の殺し屋みたいな気分になった。
 なにが食べたいかと聞くから鰻が食べたいと言った。「なら浜松やな」と謎の関西弁で行き先が決まった。
 安曇野を過ぎたあたりで高速道路に乗った。屋敷は合流するなり追い越し車線に割り込んだ。慌てて減速した後ろの車の運転手が唖然とした顔のまま睨みつけている。屋敷はバックミラーの角度を調節しながら横目でその様子を楽しんでいた。
 道はずっとまっすぐだった。伊緒の腰から下はずっと座席に沈み込んだままだった。後ろに飛ばされそうになる感覚を抱えたまま魂だけが、目だけが前に進むのだった。
 屋敷はずっと楽しそうだった。ずっとひとりで喋っていた。宇宙戦艦がワープに入る直前みたいな景色がずっとつづいている窓の外を見たくなくてハンドルを握る屋敷の手を見ていた。指に生えた毛が手袋の切れ目からはみ出していた。
 伊緒が腕時計を見ていると勘違いした屋敷が自慢話をし始めた。そのときだった。オートバイが左から斜めに車線を切るように追い越していった。伊緒が体をびくっとさせたくらいのスピードだった。
 追うのかと思った。やめなよと言うつもりでいた。やんわり叱るかなだめるかするつもりで横を見ると屋敷は肩をすくめ、別に、という顔をした。
 案外おとなだった。常識人だったと胸を撫で下ろしていると「次のサービスエリアでお茶でもしますか」と屋敷は笑った。謎の関西弁ではなくなっていた。
 ナビで検索するとサービスエリアは東名高速道路に入ってからでなければないことがわかった。「新清水ジャンクションを越えた先の清水いはらインターチェンジで右車線を使用して清水インターチェンジ方面へ向かう標識に従え」と指示している。
 清水という文字を見てから伊緒は窓の外ばかり見ていた。なにか知ってるものが見えないかと窓に顔を押しつけていた。なので「マジかあいつ割り込みやがった」「前の車をスマホで撮れ」「なにがあっても撮るのをやめるな」と言われてもすぐに返事ができなかった。
 聞いてるのかと屋敷に肩を掴まれたとき伊緒は秋葉山公園だと勘違いしていた丘の上のクスノキを眺めていた。

(『わたしを見つけて』2)


著者:横田創
校正:矢木月菜
装丁・組版:中村圭佑(IG /TW
WEB:橋本忠勝(リブアーク
編集:竹田信弥
発行:双子のライオン堂