あなたはあなたの前に座ったことがないからわからないだろうけど(テキスト版)

 

 埼玉県さいたま市見沼区大和田町1丁目のアパートで暮らす柴仙太郎(25歳)はYouTuberになって大金を稼ぐとこころに決めた。
 どんなチャンネルにするのか。すぐには思いつかなかった。有名どころのYouTuberの動画を見ながら考えることにした。
 ひとり暮らしをネットに晒すおしゃれな男子にはなれそうになかった。そもそもおしゃれな男子のひとり暮らしをしたいと思ったことも羨ましいと思ったこともなかった。屋根があって布団が敷ければじゅうぶんだった。エアコンがあればなお良しだった。
 最新のやつはめっちゃ省エネだからケチって古いのを使いつづけるのはトクサクではないとコンビニでバイトをしていたときの先輩(バングラデシュ人)が教えてくれた。彼に紹介してもらったエアコンの掃除をするバイトは1日で辞めた。
 大食いは見るのは好きだけど自分でするのは嫌だった。3日絶食して3日分食べるつもりで挑戦したメガ盛りのラーメンの支払いで1週間分の食費を浪費してから見るのも嫌いになった。
 さいたまスーパーアリーナで単発のバイトをしたとき大学生の男子たちがともだちと回転寿司で大食い競争をしたときの話で盛り上がっていた。吐くやつがいるから食べてる途中でトイレに行くのは禁止だそうだ。いちばん食べれなかったひとが全員の支払いをするエグいルールだった。「しばらくやんない。てか金かかる」「親金(おやがね)で腹いっぱい食べるのがいちばん」「それな」がその話のオチだった。
 商品紹介をする動画の素敵な背景になりそうな本棚もなければ特に紹介したい商品もなかった。そもそも買い物すること自体あまり好きではなかった。
 仙太郎は普段からモノは持たない(財布も持たない)主義だった。母さん助けて詐欺a.k.aオレオレ詐欺の受け子で逮捕されたときの所持品はかけ子のリーダーから支給されたスマホとネカフェの会員証だけだった。
 漫画紹介ならできそうだけど本当に好きな漫画(『メイドインアビス』とか)の紹介はしたくなかった。ひとになにかを説明していると悲しくなった。
 おすすめの漫画は前情報ナシでなにも言わずに黙って渡すのがいちばんだった。なれるものなら本棚になりたかった。レビュー系もハウツー系も実況系も結局のところしゃべるのが仕事みたいなものだから人前に出るのもしゃべるのも苦手な仙太郎にできるとは思えなかった。

 仙太郎はYouTubeを見ながら人前に出るのもしゃべるのも苦手な自分でも弟子にしてくれそうな師匠を探した。TENKA(天下)さんをおいてほかにはなかった。
 しゃべらずにジェスチャーだけでする一発ギャグが外国人や子供にもウケた。チャレンジ動画の達人だそうである。
 動画を10個くらい観たけどなにがなんだかわからなかった。YouTuber+TENKAで検索すると「年収」の次に「なにがおもしろいのかわからない」が候補に挙がった。
 同感だった。おもしろくもなんともない動画で100万を超える登録者を獲得する。聞きしに勝る達人だった。
 TENKAさんの書籍(『スタバのカウンター席の向かいに座っていた女』)を購入した。読んだ端から忘れる。バイト中の雑談みたいな本だった。帯に10万部突破と書いてある。やはり達人なのだ。
 書籍に付いていたサイン会の参加券を手に入れた。たまたまその日はバイトのシフトを入れてない日だった。場所はツタヤとかヴィレバンとかではなかった。駅前の喫茶店だった。
 TENKAさんは大宮在住で知られるYouTuberであることを忘れていた。珈琲貴族コヤマなきいま大宮の駅前にある喫茶店といえば伯爵邸だった。
 書籍が10万部を突破したのにサイン会に来ていたひとは10人もいなかった。サイン会の参加券が付いている本は1万冊に1冊しか配られてないことを仙太郎は知らなかった。危うく帰るところだった。
 奥のカウンター席でナポリタンを食べていると仙太郎の名前が呼ばれた。1時間も待たなかった。入口にいちばん近い席にTENKAさんはいた。
「弟子にしてください」
 おっけー。仙太郎の願いはあっさり聞き入れられた。やっぱりTENKAさんはしゃべらなかった。あとは隣りにいた女性が説明してくれた。
「いまから24時間。あしたのこの時間までのあいだに撮った動画を見せてください。それを入門試験とします」
 師匠とか弟子とかそういうことではなかった。TENKAさんが所属する事務所の面接だったことに仙太郎はようやく気づいた。
 むしろ好都合とばかりに仙太郎は背負ってた黒いリュックの中から自撮り棒を取り出した。TENKAさんとツーショットの記念撮影してもらってから「よろしくお願いします」のハグをした。
 2017年9月29日(金曜日)午後3時16分。仙太郎は自転車のハンドルにスマホを固定してから意気揚々と走り出した。

 大宮はおおきな街だ。丸亀製麺もスタバもマックもモスもコメダも自転車で行ける距離にある。川越から岩槻方面に延びる国道16号が街の中心部には入らず象を飲み込んだ蛇の背中のように迂回しているのがなによりの証拠だ。
 仙太郎は氷川神社の参道を自転車で、ときどき意味なく立ち漕ぎをしながら快調に飛ばした。立派なケヤキの参道である。大宮公園の中には入らずに外の道を走った。
 サッカー場の横の駐車場に送迎バスが並んでいる。ちょうど競輪の最終レースが終わったところだった。
 大宮公園駅に近い西門は徒歩で帰る男たちでごった返していた。自転車は公園の入り口に置いてきた。
 流れに逆らい中に入ろうとするのは仙太郎だけだった。平屋のプレハブみたいな食堂(むさし)で天ぷら付きのおにぎりを買った。
 春菊の天ぷらにした。食堂のおばちゃんが目の前で握ってくれたおにぎり(2個)の上にのせて醤油を掛けて食べた。まぐろカツも注文した。物撮りもばっちりである。
 10数年振りに来たのになにも変わってなかった。父親は仕事(タクシーの運転手)に行く前に競輪をするのが趣味というか生き甲斐だった。ユーキャンで薬剤師系資格を取って働き始めた母親の代わりに監視をするのが仙太郎の仕事だった。
 冬でも麦わら帽子をかぶり腰にぶらさげたラジオを流しっぱにしていたおじいさんが赤い松の下でハトに餌をあげていた。大宮公園の中にあるリス園みたいなちいさな動物園にはむかしヒグマがいたのだそうだ。教えてくれたのは夕方になるとハズレ車券をひろってまわる腰が90度に曲がったおばあちゃんだった。
 森に囲まれたボート池に日が落ちると風が急に冷たくなった。仙太郎の8日ぶりのバイト(ダンプカーが出たり入ったりする工事現場の入口に青い制服を着て立っているだけの仕事)のない日が終わろうとしていた。
 小学3年生の春。母親が家を出ていった。残された家族と暮らしていた大和田のアパートも家賃の滞納で追い出された。妹と入所した施設も高校を卒業したら退所しなければならなかった。仙太郎が大金を稼ぐとこころに決めたのは今回がはじめてではなかった。
 体を壊して働けなくなった父親は自殺した。施設で暮らしていた1個下の妹は勉強して国立の大学に進学する、働いて自分で学費を払って大企業に就職すると息巻いていた。
 施設長が保証人になってくれたおかげで駅から少し遠くて木造だけど風呂とトイレが別のアパートを借りることができた。施設が保証人になってくれるのは1度だけという条件付きだった。
 就職するか大金を稼ぎでもしない限り風呂もトイレも押し入れもどことなくカビ臭いアパートで、同じこのアパートで暮らしつづける。つまりはそういうことだった。「そういうこと」で世の中はできていた。
 コンビニで(夜勤で)働きながら大金を稼ぐとなると副業しかなかった。ウシジマくんを読破してヤバい仕事は全部知ったつもりになっていた。情報商材に手を出さなければいい。沖縄にだけは行かなければだいじょうぶ。ヤバいことにはならないとタカをくくっていた結果の母さん助けて詐欺a.k.aオレオレ詐欺の受け子だった。
 仙太郎が刑務所にいるあいだに妹が自殺した。妹が働いていた浦和のガールズバーはタピオカの店になっていた。

 最近ちょっとだけいいことがあった。
 仙太郎の好きなひとが洋服屋で働き始めた。調べてみたらすぐにわかった。神奈川県大和市渋谷6丁目にあるショッピングモール(イオン)だ。
 子供のころから洋服が好きなひとだった。親が金持ちで、近所にあるしまむらをクローゼット代わりに使っていた。やばいやつだった。
 ちょっとだけではなかった。ものすごくいいことだった。
 幼稚園の年少のときから中2の夏に引っ越すまでずっと汐里とは同じクラスで帰りはいつも一緒だった。
 汐里が熱を出して早退すれば早退した。遅刻をすれば迎えに戻った。仙太郎の住むアパートは竹藪で囲まれた汐里の家(地主の小林さんち)の敷地の横に番犬のように建っていた。
 机をくっつけ合う給食のとき。マルエツの裏の森の中につくった秘密基地でツナサンドをつくって食べたとき。仙太郎の前にはいつもご飯をおいしそうに食べる汐里がいた。
 ご飯をおいしそうに食べるひとと一緒に食べるご飯はおいしかった。汐里は細いのによくご飯を食べるひとだった。
 おなかをすかせていたのはむしろ仙太郎のほうだった。汐里が誘えばいつでもほいほいついてきた。親が飲食店を何店舗も経営している金持ちだったからお金ならいくらもでもあった。放課後毎日のようにマックに行ってハンバーガーを3個も4個も食べた。
 それが仙太郎の晩ご飯だったことを汐里は知らなかった。大金を稼ぎたかった。おとなになったらと言わず、いますぐ稼いで貸し切りにしたかった。おいしそうに食べる汐里を、その景色をひとり占めしたかった。

 春菊の天ぷらをのせたおにぎりの写真を汐里にDMで送った。テーブルの上の醤油差しに立て掛けたスマホでおにぎりを食べる様子を動画におさめた。
 ごちそうさまをした仙太郎が店の外に出るとスズメが風に舞う木の葉のように飛び立った。アイコンがスズメの「ちゅんちゅん」だった。中のひとが仙太郎であることは汐里に隠していた。
 汐里がライブ配信を始めるお知らせが届いた。動画の撮影をしているからスマホで視聴することはできない。JRの社宅みたいな団地(寿能町アパート)のそばにある自転車屋に寄ってブレーキの調整をしてもらうつもりでいたけどやめた。コンビニにも寄らずに直帰した。
 ちょっとだけ悲しいことがあった。
 汐里が男と別れていた。最初のオフ会をした花見のころから付き合い始めた「ハイボール」との関係が好きぴからセフレのひとりに格下げされていた。「鈴木」が匂わせていた。
 汐里(「佐々木」)が「ハイボール」と付き合ってることを知っていたのはオフ会をしたことがあるいつメンのひとたち(汐里の高校の同級生「鈴木」とビール会社の営業マン「ハイボール」と会社の後輩「天然水」とマッシュのイケメン「omamay」)だけだった。
 ちょっとだけではなかった。すごく悲しいことだった。
 やっと汐里が誰かと付き合うことができた。ひとりの男に決められたと喜んでいた矢先の出来事だった。
 これでもう自分は必要ない。お役御免とばかりに汐里の前から消える準備を整えていた。草葉の陰ならぬネットの闇からそっと見守る。誕生日プレゼントだけは毎年欠かさず贈る。サンタクロースみたいな死者になる覚悟はとうのむかしにできていた。
 すぐにそういうことを言うのは仙太郎のむかしからの癖だった。死ぬ死ぬ言いながらなかなか死なない。しぶといゾンビだから汐里は安心しきっていた。
 仙太郎だけはどこにも行かない。いなくなってもいなくならない。汐里の隠密(おんみつ)。懐刀(ふところがたな)。妹にご飯を食べさせるために新聞配達のバイトをしているバットマン。呼ばなくてもいつもこっそり助けに来てくれた。熱を出せばポカリを買ってきてくれた。
 仙太郎は汐里のことが好きだから。大好きだから。なにがあっても汐里のことを好きのままでいてくれると汐里が知ってることを知ってるから。わかっているから。汐里のせいでたとえこの世界が消えてなくなっても味方をしてくれる。汐里が死んでも親にだけは教えない。連絡しないという約束をきっと守ってくれる。
 そしていつか汐里が知らなかっただけで、知ったらきっと汐里が好きになる場所(そうだなー、できれば海が見える丘とか夕日が沈む灯台とかすぐに思いつきそうな場所ではない場所)にお墓を立ててラピュタのロボットみたいにお花の水やりだけは毎日欠かさずしてくれる。最終兵器彼氏(ではない彼氏)。それが仙太郎だった。

 茨城県神栖市(旧波崎町)矢田部のコンビニでアルバイトをしている蒔田恵梨花(19歳)はしつこいアンチに悩まされていた。ブロックしてもまた別の垢をつくってだる絡みしてくる。ブスとかババアとか語彙が完全に死んでる。そいつのせいでバイトに行く気がなくなった。完全にノリだけでつくった裏垢だけど明け方に「お風呂に入る」とつぶやいても「いてら」と即リプしてくれるひとが5、6人もいるから鍵垢にはしたくなかった。
 TENKAとコラボしていたVTuberのちゅんちゅんの動画のエンドカードに「ひま過ぎて死にそうだから、なんでもいいから相談して」と書いてあった。夜中の3時過ぎに相談したのに次の日の夜になる前にレスしてくれた。
 踏切の赤いボタンを押している高校生くらいのカメコの写真が添付されていた。静岡県沼津市三芳町。住所まで書いてあった。よくわかんないけどそいつに送ったら2度と絡んでこなくなった。
 嵐の大野くん推しのネットのともだち(神奈川住みの子持ちの主婦さん)にその話をしたら知ってた。「交換」でトラブったとき助けてもらったことがあるらしい。「ちゅんちゅんマジ最強」がふたりのあいだでしばらく口癖になった。
 2018年5月2日(水曜日)午前6時8分。バイト明け。家には帰らずバイクで海に向かった。もともとこの白くて青いスーパーカブ(停車したときだけロータリー式になる常時噛合式4段リターン)を買うために始めたバイトだった。インダストリアルにしてもなにも言われなかった。オーナーには感謝しかなかった。
 高校を辞めてバイトが仕事になってから地元のともだちと会わなくなった。「なにしてる?」と聞かれたとき「バイク買った」でやり過ごせる賞味期限はとっくのむかしに切れていた。
 海沿いの道に出て5分も走らないうちに白い風車のオバケ(使徒)が見えてきた。1個見えたらうしろにも見える。見えたら見えるの連続で。ざわざわしていたこころがさらさらしてくる。風力発電のでっかいプロペラがゆっくりまわっているのを見ると恵梨花は海を見るより海に来た気がした。
 いきおいそのまま鹿島の工場の行き止まりまで走ってしまった。季節外れの海水浴場の向こうでちいさくなった風車のオバケ(使徒)の隊列を眺めながら静岡県沼津市三芳町で検索してみた。
 駅の近くの線路と線路のあいだに線路しかなかった。操車場という言葉もその目的も知らない恵梨花の目にはそう見えた。蓮光寺というおおきな寺があるその町のことを恵梨花は次の日にはもう忘れてしまった。

 東京都日野市南平9丁目の丘の斜面に建つアパートでひとり暮らしを始めた小野寺美衣菜(23歳)は少しがんばり過ぎた。2018年9月3日(月曜日)午後11時44分。冷蔵庫の中に食べるものがあるのに食べる気がしなかった。
 冷やご飯もフルーツもひじきの煮物もポテトサラダも全部ジップロックのタッパーに入れてある。電子レンジで温めるだけで食べられるおかずもある。
 おなかはすいていた。ラーメン餃子に半チャーハンをつけてもいいくらいすいていた。いまならコメダのみそカツパンでもひとりで平らげる自信がある。
 美衣菜は冷蔵庫の扉を閉めた。開けて見ただけでなにも取り出さなかった。
 少しではなかった。だいぶがんばり過ぎた。疲れ過ぎてNERV(ねるふ)を脱走してひとのいない山のほうに逃げたシンジみたいにしか歩くことできなかった。
 ベッドと低いテーブルのあいだに尻を落とした。
 常に断捨離を心掛けていた。ゲーム機も漫画の類いもほとんど全部引っ越したときの段ボールの中に入れたままにしていた。半年後にはまたほかの店舗に異動するかもしれない。ベッドと低いテーブルとノートパソコンがあるだけの部屋だった。
 1時間たったけど美衣菜はまだ帰ったときの格好(白いシャツに黒いスーツのズボン)のままでいた。膝の横に洗濯物と一緒に洗ってしまった白いティッシュのかけらが落ちていた。
 美衣菜は膝をつけたまま体ごと腕を伸ばしてぼろぼろしたそれを屑籠に捨てた。そのまま体を横に倒した。白いムートンの上にごろんした。
 あしたが休みの日ならこのまま寝てしまってもよかった。よいと自分に許可したかった。
 あしたは休みなどころか早番だった。早番だからきょうは9時にあがることができた。
 なにが9時にだ。あがることができただ。なにもする気がしないくらい疲れ切った人間でもすることができる気分転換なんてものがあったとしてもする気がしない、する気が起きない自信しかなかった。
 ウーバーで頼んでばっかだよ。同期の石川くんが研修のとき短く刈ったうなじのあたりをぽりぽり掻きながら言っていたのを思い出した。吹き出物ができた首のまわりだけ見たら疲れた中年男にしか見えなかった。
 美衣菜はどうにかこうにかお風呂に入ることができた。湯船の中から出られずにいた。
 ひとつやめたら全部やめなければいけないわけではないのはわかっていた。頭ではわかっているのにできなかった。
 書道部の部長になるのをやめると決めたら部活そのものをやめてしまった。高2の秋から自分の人生はなんとなく寂しいものになった気がする。
 美衣菜がインスタを突然やめたことが話題になったと里奈から聞いたときちょっとだけうれしかった。その里奈とも会社の研修で忙しくなる前以来だからもうなんだかんだで3ヶ月以上連絡をとってなかった。
 カフェを嫌いになりかけていた。チェーン系のカフェに就職するのだけはナシだと言っていた里奈は圧倒的に正しかった。正しいと言わざるを得ない結果そのものみたいにお風呂の湯船の中でくたばっていた。
 美衣菜がひとりでとぼとぼ15分くらい歩いて(丘を下りて)安いほうのスーパー(アルプス)に行って半額になった手羽先を買ったりコンビニ(ローソン)の雑誌コーナーの横の機械(Loppi)でメルカリの紙を出したりタヌキみたいな名前の公園のベンチで寝ていた野良猫の頭を撫で撫ですることができて泣きそうになった(てか泣いた)りしているのは八王子の街並みの向こうに富士山がくっきり見える東京の西の果てなのだ。渋谷でともだちに会うなんて夢のまた夢だった。
 IT系の企業に就職した里奈が羨ましかった。それもただ羨ましいのではなかった。圧倒的にうらやまだった。
 里奈がインスタのストーリーにアップする渋谷のあたらしめの商業施設(ヒカリエ)や映画館で観たアニメのポスターや池袋のコンカフェで撮った写真や動画を見るのがつらくなってインスタをやめた。最近大学生のバイトの子たちが話していることが急にわからなくなった。
 まだ60代前半なのに親が認知症になったともだちの話をうれしそうに何度もしているパートの主婦さんのひととして、いや、生物としての終わりっぷりを見るとほっとした。終わってるのは自分だった。
 詰んだ。とっくのむかしに詰んでたことにいま気づいた。
 会社で働いている女子が読む漫画とか深夜ドラマならひとりで海に行くか山に登るかするタイミングなんだろうけど。するなら書道だった。
 それか餃子の爆食いだった。中3とか高1のときに好きで録画して何度も観た「SPEC〜警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係事件簿〜」の中に出てくる餃子屋さんがたまたまだけど地元(下丸子の実家の近く)にあるのは知っていた。
 知っていたけど行ったことがなかった。ドラマに出てくるその店が実在するのを知らない振りをしてYahoo!知恵袋に書き込んだら回答が3件もついた。

ベストアンサー
【焼き餃子のアイコン】SPECガチ勢左腕包帯さん 2018/9/4 1:55
 実在しますよ。武蔵新田駅の駅の近くにあります。注文するときは「ゆで5!焼き5!」でお願いします。
【グレーのアイコン】ID非公開さん 2018/9/5 12:13
 耳寄りな情報ありがとうございます。さすがにひとりじゃ食べ切れませんよ。行くときはともだちを誘っていきます。ついでにSPECの布教をします笑。

【水色のアイコン】せんべろろ☆おやじじさん 2018/9/4 9:15
 銀だこのさっぱりおろし天つゆねぎだこが食いたいっす。
【グレーのアイコン】ID非公開さん 2018/9/5 12:16
 わかるひとにしかわからない。わかりみが深いコメントありがとうございます。山登りとかやってみたいんですけどね。引き籠もり気味で。逆に食い気がやばいかもです。なにが逆になのかわかりませんけど笑。

【スズメのアイコン】ちゅんちゅんさん 2018/9/6 12:00
 逆に海に行くのはどうでしょう? ドライブするなら茨城県の神栖市にある日川浜(にっかわはま)海水浴場がおすすめです。なにが逆になのかわかりませんけど笑。
 海岸沿いの市道(通称シーサイド道路)には通行止めの区間があるのでご注意を。銚子大橋を渡ってそのまま国道124号線を北上したほうがいいかもしれません。
 セブンイレブンが右に見えたら右折してください。海にまっすぐ向かうことができます。なんならそのセブンイレブン(神栖太田店)に立ち寄ってみてください。ロンギヌスの槍みたいなピアスをした水色の髪の店員さんから耳寄りな情報が得られるかもしれませんよ(ここだけの話)。
【グレーのアイコン】ID非公開さん 2018/9/6 12:42
 えっとあの?! ちゅんちゅんさん謎に詳し過ぎです。わかりました。行くときは実家の車を借りてひとりで行きます(ここだけの話)。

 神奈川県横須賀市湘南鷹取5丁目の県営団地で暮らす小谷友香(48歳)は息子(16歳)のイジメの調査報告書と現場写真(鷹取山公園の石切場跡)をスマホで受けとった。
 相手は17歳〜18歳の高校生(半グレ集団)だった。パートの掛け持ち(薬局と弁当屋)をしながら子育てをしている。一介の主婦(シングルマザー)にどうにかできる類いのものではなかった。
 健太郎を養護施設に預けることをすすめられた。引っ越した先での生活が安定したら迎えに行けばいい。ちゃんと話せば息子さんだってわかってくれる。弁護士みたいに親切なVTuberさんだった。
 2018年11月9日(金曜日)午前2時19分。友香は本気で自殺を考えた。
 自殺のほうからやって来た。追いつかれた。そんな感じだった。諦めにも似た気持ちで洗濯ひもを解いた。百均で買ったビニール製のロープだった。
 友香にはひとつだけ気になっていたことがあった。ちゅんちゅんさんがどうしても報酬を受けとってくれなかった。
 健太郎を施設に預けることにしました。手続きはもう済ませました。
 送信するとすぐに既読がついた。
 「海の近くのこの町はどうですか?」
 住み込みで働けるリゾートホテルまで教えてくれた。偶然も偶然。ネットのともだち(崎波ちゃん)が暮らしている町だった。
 いまだと思い、これが最後と思い、調査に掛かったお金だけでも受けとってくれないかとお願いした。
 健太郎はわたしの3人目の子供なのです。浮気相手の子供を生むためにわたしは2人の子供(仙太郎と千花)を置き去りにしました。わたしはこれから娘と同じ方法で……。
 送らずに消した。遺書みたいなものを書いてしまった。友香は薄暗い台所に立っていた。
 スマホが明るくなった。吹き出しの中の文字が浮かびあがった。
「了解しました」
 飛び上がるくらいうれしかった。お金を払うのにうれしいなんてことあるんだ。
「なお」
 なお?
「報酬の支払いはPayPayでも可能です」
 なんじゃそりゃ。
「調査に費やした時間の分だけいただきます。あなたの住む街の最低時給で」

(『わたしを見つけて』9)

著者:横田創
校正:矢木月菜
装丁・組版:中村圭佑(IG /TW
WEB:橋本忠勝(リブアーク
編集:竹田信弥
発行:双子のライオン堂